FIREやセミリタイアを実現するには当たり前ですが資金が必要です。よほどの資産家の家庭に生まれない限り自動的に経済的自立が達成できているということはありません。そこで、私がどのような道のりでセミリタイアに至ったのかをご紹介します。
始めに結論から申し上げると、ほぼ再現性はなく参考になる情報というよりは完全に暇人の回顧録のような内容になると思われますので、自己紹介の一環として受け取っていただけましたら幸いです。章立てとしては以下の構成となります。
- ニート時代編
- サラリーマン時代編
- 経営者時代編
今回はニート時代編です。
ろくに就活しなかった学生時代
話は約20年前に遡りますが、大学時代の私は働くということに全く期待をしていませんでした。期待をしていないと言えば、足りないなりに何か自分の考えがありそうにも聞こえますが、むしろ何も考えていなかった、考えたくなかったと言ってもいいくらいです。いわゆるピーターパン状態です。
今思えば、よくそのような状態で居られたものだと思うのですが、当時は「仕事なんて何をしてても大して変わらないでしょ?」と本気で思っていました。サークルの友人達はインターンに行ったり真面目に就活したりと近くに有益な情報はあったはずなのですが、自分が興味を持っていない状態ではどんな情報も全くアンテナには引っかからず。
ですので、新卒の就職先を選ぶ基準は初任給一択。そもそも額面で18万円なんて生活できないし、少しでも高いところを選ぶしかない。そんな感じで数社受けて金融系の営業職に就職しました。無知とは本当に恐ろしいものです。
新卒で失敗し遠回りコースへ
新卒で就職した会社は金融系と言えば聞こえは良いですが、認可もあり合法ではあるものの昭和の遺物といった様相で今では考えられないようなグレーな業態でした。詳細は記載しませんが、最終的にはお客さんが損をすることが見えているような、世の中の役に立っているとは到底言えないビジネスモデルですね。
派手なスーツに茶髪やパンチパーマ風の重役たち、朝7時過ぎから目眩がするような大声で行う朝礼、デスクには電話と電話帳と灰皿のみ。令和の時代から見ればまるでコントのような世界です。同期たちが1ヶ月2ヶ月でバタバタと退職していく中、私もさすがに「これはちょっと間違えたな」とはっきりと認識しました。
日々、飛び込みやテレアポなどに邁進しつつも、大したスキルを身につけることもなく、結局は1年も経たずに退職してしまいました。退職後は大学時代にパチスロで稼いだ貯蓄を食い潰しながら結局はそれも使い果たし、一人暮らしも立ち行かなくなり一度実家に帰ることになりました。なんとも情けない話です。
その後に業種を変えて転職するも、小さな会社で入社から1年程度で会社が解散することになり、またしても無職。履歴書は絶望的な状態で26歳を迎えていました。
悩めるニート
この頃にはさすがにとてつもない危機感を持っていました。同世代で仕事を頑張っている仲間が徐々に活躍し始めるのを横目に見ながら、自分の現状との果てしない距離感を考えると気が遠くなる思いで、情けなさや自己嫌悪から鬱の一歩手前だったような気がします。どうにかしなければいけないことは分かっているが、どう巻き返したらよいのか分からない、分からないから立ち上がる気力も湧いてこない。学生時代にちゃんと就活していれば。あの時こうしていれば。そんな後ろ向きなことばかり考えていました。このサイクルに入ると行くところまで行って、生い立ちや幼少期まで遡って原因を追求するような全く意味のない思考を繰り返すようになります。
今思い返すと、この頃までの私は典型的な他責思考でした。自分がうまくいかないのは環境のせい。環境さえ整えばどうにかなるんだという、よく目にするダメなタイプの若手です。そして精神的に落ちるところまで落ちて、さすがに自分の考えは何か大きく間違っているんだ、とようやく思えるようになってきたのもこの頃で、藁にもすがる思いで初めてビジネス本や自己啓発本などにも手を伸ばしていました。
色々な情報を浴びるように摂取する中で、ここで初めて「自分は何をしたいのか、どうなりたいのか?」という、とてつもなくシンプルな問いを立てることになります。それまでは、現状をなんとかしなければ、という場当たり的なことしか考えていなかったのですが、どうせ生きていかなければいけない、そして誰に聞かれる訳でもないのだから恥ずかしがることなく自分の奥底の本音や欲求と向き合おうと真剣に考えるようになりました。
奥底にある内なる欲求とは?
それを考えるアプローチとしてとても有効だったのが、自分が憧れる、こんな人になりたいと思う人達の共通点を考えることでした。もっと分かりやすく言えば、どんな人を羨ましいと思うのか。人と比べる、嫉妬するという行為自体は基本的には幸福度を下げることが多いと思いますが、当時の私にとっては、誰かを羨むドロドロとした奥底の感情と向き合うことはとても効果的でした。実際やってみると、例えば漠然と仕事で活躍しているといっても、実は大企業のサラリーマンへの憧れはあまりないなとか、それなりに傾向が見えてきます。その中で、自分が1番心から「こうなりたい!」と思えた対象はベンチャーでバリバリ仕事をする仲間でした。
これまでの人生で何かに全力で打ち込んだことがなく、自身の人間としての薄っぺらさに辟易していたこともあり、朝から晩まで働きつつも責任や決裁権を持って突っ走る姿は当時の私には眩しいものがありました。死ぬ時にあの時期は本当に全力を尽くしたと心から思える経験がしたい。仕事とプライベートの境がないくらい熱中してみたい。その欲求から発展させて、「いつかベンチャーの経営チームで仕事をする」という、現状を鑑みると目標というのも恥ずかしいような目標が決まりました。
これだけでもだいぶ前進はしているのですが、もう一つ大事なことは「長期戦を覚悟する」ことでした。
今の自分には何もなく、おまけに全員でよーいどん!のタイミングは既に終わっていて完全に出遅れた状態である。ここから自分が納得する状態まで行くには相当な時間がかかるだろう。いくらがんばったところで2〜3年でどうにかなるものではない、30代の間でどうにかできていればよい。それまでは給与ではなく実力を付けることを優先する。周囲のことは気にしない。こんな感じで、これまで短絡的だった自分の考え方を変えることや、そう簡単にはいかないであろう厳しい現実を、長期的な視点で上手く受け入れ始めていました。
こうなってくると徐々に視界は良好になり気持ちも前向きになってくる。ニートという現状は何も変わっていないのに人間の精神状態とは面白いものです。後々分かることですが、この頃は隣の芝生が青々と見えていましたが「自分は何がやりたいのだろう?」的な問題はどこでも発生しており、多くの若手が感じている悩みでした。
日々の仕事をしながらだと忙しさもあり、答えを出すことなく何となく折り合いをつけて、また日常に戻っていくことも多いかと思います。その点、私はこの時期に納得するまで自分と対話して結論を出せたことで、以後10数年に渡ってこの手の話で悩むことは全くなく、目の前のことに集中することができました。結果論ですが、とても貴重且つその後のエネルギーの源泉となる時間を過ごすことになりました。
再起を誓って新たな環境へ
以前とは大きく変わった精神状態で転職活動を再開し、なんとか無事とある会社に拾ってもらうことができました。結果的にはこの会社に7年勤めることになります。
入社時は27歳になっており、入社する会社の平均年齢も27歳。同い年の課長の部下になり、新卒2年目の先輩に仕事を教えてもらい、年収は300万円。少し前の自分であれば、くだらないプライドから色々な意味で受け入れられなさそうな状況ですが、見事に今の自分の立ち位置を表しているなぁと、この時は少し面白く思えてしまうようなフラットな感覚もあり、またそんな新しい感覚でいられている自分が気に入ってもいました。
早く実力を付けるには若くて伸びている会社に行くのが良いはず。当時大した知識も会社を分析する力もなく、就職先を選べる立場でもなかったですが、結果的にこの感覚は大正解でした。27歳で新卒に毛が生えた程度のスキルで未経験で入社。だいぶ出遅れましたが、この会社で私はようやく会社員としてまともなキャリアを歩き始めることになります。