前回のニート時代編に続きまして今回はサラリーマン時代編です。全体としては3部構成となっております。
- ニート時代編
- サラリーマン時代編
- 経営者時代編
ニート時代編はこちら
繰り返しになりますが、特に再現性はなく資産形成の参考になるようなお話はあまりないので、あくまで自己紹介的に受け取っていただけましたら幸いです。それではサラリーマン時代編です。
3年は何も考えず走ってみよう
再起を誓って入社した会社は平均年齢は27歳で未経験の業界。これまでまともなキャリアを歩んでいなかった私は実務面では新卒のような戦力でした。しかし自信やプライドなど何もかもがちょうどゼロになったタイミングでそれが良い方向に作用して、中途入社にありがちな「前の会社ではこうだったのに、、、」的な違和感なども全くなく、触れること全てが新鮮に感じられていました。
この時の私が決めていたことは、「まず3年後の30歳までは何も考えず目の前のことに集中する」でした。いつかベンチャー、スタートアップの経営チームで仕事をしてみたいという長期目標はありましたが、自分の現在の立ち位置はそれなりの客観性を持って捉えていました。これまで腰を据えてどっしり何かをしたことがないのだから、まずは3年突っ走る。それがちゃんとできたのなら、またその時の自分なりに感じていることや思うことがあるだろう。それはその時に考えればよいという方針です。
こんな感じで、とにかく「決める」ということをしないとパワーが出ない性格なのですが、逆に決めさえすれば淡々と実行できるというのは1つの強みかもしれません。
サボっていた時間の重みを知る
兎にも角にも新たな仕事がスタートしたのですが、その中で私が最も衝撃を受けたのが、当時の上司の上司、立場的には本部長や部長クラスの1人の先輩社員Aさんでした。彼は新卒から6年目の28歳で私の1歳年上。セクションを跨いで信頼を集めていて、この会社のキーマンだということはすぐに分かりました。何に衝撃を受けたのかというと彼の業務内容や決裁権です。
利益数十億を叩き出している企業のこんな大事なことを、こんな同世代の人間が必死に考えて決めて動かしているのかと。驚きや尊敬と同時に、「新卒から6年がんばるとこうなる人もいるのか」と、自分がサボった時間の重さを思い知って改めて気が引き締まる思いでした。
そして私はおぼろげながら「Aさんの右腕的なポジションになる」という裏目標も定めました。若くして裁量を振るって会社を切り盛りしている彼に純粋に憧れたのですね。彼と喫煙所などで会話した内容で分からない言葉があればすぐに調べて、商談の会話の意図は全て細かく確認するなど、盗めるところは徹底的に盗みました。
そして、一定の時間を過ごす中で、彼が今このポジションにいるのは、能力はもちろんですが、やはり時間をかけて社内外の信頼を積み重ねたからであって、1つの会社の中でそういうポジションに就くには一定の時間がかかるものだなということも実体験の中で感じられました。社会復帰した直後のこの期間、彼と一緒に仕事ができたことは、とても貴重な経験となりました。
転機
仕事にはすぐに慣れ、同世代の同僚たちとも仲良くなり、仕事後に安い居酒屋に飲みにに行ったり休みの日も一緒に遊んだりと、私は初めて社会人生活を安定して満喫していました。給与はとても低かったですが、これまでプラプラとしていたこともあり、この安定して仕事に取り組む日々というのがとても新鮮に感じて自分なりに楽しめていました。そしてあっという間に2年9ヶ月が経ち、入社時に決めた「3年は目の前のことに集中する」という期間が終了目前に迫る中、私は4年目以降の方針について頭を悩ませていました。
仕事はすこぶる順調で仲間も楽しいのだけど、組織的には上が詰まっている感は否めませんでした。というのも、1つの事業で大きく成長し、そのまま単一事業で運営している会社だったので、その事業がある程度成熟すると新しいポジションは生まれづらく、この先の自分の仕事もあまり変化が生まれない可能性があるというのが当時の見立てでした。
そんなタイミングで、親しい取引先から新しい部署の立ち上げメンバーとして転職のオファーをいただいており、年収もかなりの上昇が見込めました。入社時に当面の間、給与は気にしないと決めて取り組んできましたが、同業界の中で今の会社の給与はかなり低水準であることは認識していましたし、会社員生活にも慣れてきてそろそろ給与も欲しくなってきた頃でした。悩んだ結果、私は新しい職場でチャレンジする方向に決めました。
この頃、Aさんは管掌範囲を拡げて業務上の距離は少し遠くなっていたのですが、個人的にはよく飲みに行く間柄になっており、口も固く信頼のおける人間なので、彼に最初に伝えることにしました。
会社のビルの1階の居酒屋で1杯目のビールに口をつけるやいなや、私はすぐに退職意向を切り出しました。「まじかー!」と苦笑いしながら大きくのけぞる彼から続いて出た言葉が全く予想していたなかった展開でした。
聞けば、来期に彼の直下で新規事業に取り組む新しいチームが発足予定で、そのマネージャーを私にやってもらう予定だと。確かに、数ヶ月前にリリースされた新しいサービスがあることは知っていたのですが、社員の私ですら最新の状況を把握しておらず、どうやらそんなに上手くいってはいなさそうだなという印象は持っていました。その事業を本格的に伸ばすために、新たなチームを作るという内容でした。
チャンスだと思いました。
昇進とはいえ社内の仕組み上、給与面は全く期待できません。しかしこれは自分が社会人として初めて積み重ねることのできた信頼の結果であり、転職して仕事を「横」に展開するよりも、時間をかけなければ権利を得られない、1つの組織でレイヤーを上げる「縦」に進む展開の方が、遥かに貴重な経験になると直感的に判断しました。
何よりもこの3年弱で、自分が社長だったら、自分が部長だったら?どうするだろう?ということを山ほど考えながら仕事をしていたので、自分のチームを持つということは当時の私にとっては、何よりもチャレンジしてみたい仕事でした。
そんな訳で、お誘いいただいた取引先には包み隠さず事情を全てそのまま伝えてお断りをして、私は会社に残ってもう3年突っ走ってみることにしました。いちいち何年と決めるのは、やはり決めてしまった方がその期間、脇目を振らずに集中できるからです。弱い自分を律するための作業ともいえますが、これはもうこういう性格なんですね。
そうして数ヶ月後に30歳で初めて管理職として新規事業にチャレンジすることになりました。そして結果的にはこの選択が今に繋がる道のスタートラインになりました。
新規事業の楽しさにどっぷりハマる
当時この会社では数年に1回新しいサービスをリリースしては軌道に乗らずに解散ということを繰り返していました。後に聞いたところ、私の新しいポジションも社内的には貧乏くじとして見ている人も実は多かったようです。しかし、当時の私はそんなことはどこ吹く風、自分のキャリアとしてここから数年が勝負所になる。いや勝負所しなければいけない。という並々ならぬ決意で新しい仕事がスタートしました。
この仕事に出会って、生まれてから入ったことのないスイッチが入ったように思います。
朝起きた瞬間から寝る瞬間まで仕事のことを考え、早く土日が終わって月曜になってほしい、仕事を進めたいと。数年前にニートだった時に、仕事に熱中する生活を送ってみたいという1つの願いはこのタイミングで叶うことになりました。
事業の方はというと、成果が出るまでにはに少し時間はかかりましたが、毎年順調に数字も伸びてチームの人数も増えていき、最終的にはその会社の中でもそれなりの存在感を示す規模に成長しました。後にも先にも、仕事をこんなにも純粋に楽しいと感じていたのはこの期間だけだったかもしれません。事業全体の責任を負うことやチームマネジメント、何より全力を尽くすことも含めて、ようやく30代で自分が納得できる成功体験を積むことができたように思います。
最期の時に後悔しない選択を
さて、新規事業に没頭する日々が3年続き4年目の期初を迎えました。この時の私は既に今期末でこの会社を去ることを強く心に決めていました。というのも、私の昇進と時を同じくして、会社自体は日系の大企業の傘下として子会社になっており、資本構成や経営体制は大きく変化していました。幸いなことに、私が担当していた事業はほぼ放任で自由度高く任せてもらえていたのですが、親会社から役員が来たり人事制度が徐々に変わるなど、年功序列をベースとした昔ながらの経営の足音は時間の経過と共に確実に大きくなってきていました。
この頃の自分は事業を伸ばすことに加えて、より会社を強くしていくには人事制度などを根本的に見直した方がよいなど、会社全体に関わる仕事にも興味も持ち始めていました。しかし、それらの領域はブラックボックス化しており、自身でも色々なアプローチをしてみたのですが、結局のところ子会社である自社には決裁権がありませんでした。
担当している事業は伸びているし楽しい。社内のポジションもある程度確立されてきており、数年後、10年後、この会社の中では自分も上に上がっていけるであろう状況ではありました。しかし、逆に自分の未来がその想像の範疇にしか収まらないことに言いようのないつまらなさも感じてしまい、また性格的にブラックボックスが存在する環境に居続けることに、どうしても折り合いがつかなくなっていました。
せっかく苦労して築いた心地よい環境に未練が全くなかったかというと嘘になります。とはいえ、ベンチャー/スタートアップで経営チームの一員としてチャンレジしてみたいという数年前に向き合った自身の欲求は全く消えておらず、この欲求に向き合わなかったら人生最期の時に絶対に後悔するという確信はありました。その結果、最後に1年、今後も事業がさらに伸びる環境を整えてこの会社を出ようということを決めました。
新たなチャレンジへ
4年間、事業責任者として仕事をする中で、社外の交友関係もそれなりに拡がっていきました。その中で、自分がもし転職するならこの会社でチャレンジしてみたいという会社が1社だけありました。今期末で転職すると決めた私は残り半年になったタイミングで、その会社の社長との食事の際に「そろそろ次を考えている」ということを話したところ、ちょうどこれからリリース予定の新しいサービスがあるから、それの責任者として来ないか?という誘いをいただき、すぐに快諾しました。給与面は当面の間は期待できなさそうでしたが、30代は内容重視で40歳くらいまではあまり考えずに進もうという方針もこの時に固まりました。
7年勤めた会社はとても温かく送り出してくれました。余談ですが、担当していた事業は現在も成長を続けており、当時のメンバーが事業責任者を勤めて現在は会社の主力事業になっているようです。そしてセミリタイアした現在、数年ぶりにこの会社のお手伝いも少しだけしています。Aさんとも友人として関係が続いており、その他にも一生付き合うであろう友人もできて、私のキャリアの中でもこの会社員時代の7年間はとても華やかな思い出になりました。
さて、転職先はというと社員数20名程度。この規模であれば自身の成果や振る舞いしだいでは経営に食い込んでいけそうな環境です。オフィスもマンションの1室とまではいきませんが、それに毛が生えたくらいの様相です。
30代後半、自分はここで勝負するんだな。大きな希望と少しの不安と、でも悪くない。選んだ道を正解にするぞ。より一層の強い決意で退職から休む間もなく新たなチャレンジが始まりました。
そしてこの時は、まさか数年後にこの会社の社長になるとは微塵も思っていませんでした。